坂部城跡(読み)さかべじようあと

日本歴史地名大系 「坂部城跡」の解説

坂部城跡
さかべじようあと

[現在地名]阿久比町卯坂

「知多郡史」によれば、阿久比庄領主久松定益(永正七年没)が坂部村西方の栗木谷くりのきだに築城。城の規模は「雑志」に「東西四〇間、南北五八間、四方二重堀」とある。徳川家康が永禄三年(一五六〇)今川義元の尾張進攻に従ったとき、坂部城に生母お大を訪ねた(家忠日記)

久松氏の主家織田信長は佐久間信盛の讒により天正五年(一五七七)七月、俊勝の子信俊を切腹させ、信盛は坂部城を攻めて嫡子小金・吉安らを討ち城を焼いた(知多郡史、阿久比町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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