垂水東牧・垂水西牧(読み)たるみのひがしまき・たるみのにしまき

百科事典マイペディア 「垂水東牧・垂水西牧」の意味・わかりやすい解説

垂水東牧・垂水西牧【たるみのひがしまき・たるみのにしまき】

摂津国にあった摂関家領ので,合わせて垂水牧ともいう。のち耕地化が進んで所領化した。東牧は島下(しましも)郡,西牧豊島(てしま)郡に11世紀半ばまでに設立されており,東牧は現大阪府吹田(すいた)市を中心に一部茨木(いばらき)市・箕面(みのお)市に,西牧は現大阪府豊中市を中心に一部吹田市・箕面市に及ぶ地域に散在していた。いま千里(せんり)丘陵と呼ばれる丘陵地の周辺である。いずれの牧とも本来は摂関家の牛馬の飼育にあたっていたのであろうが,平安末期には近郊荘園として摂関家が都市生活を送るうえで必要なさまざまな雑事(ぞうじ)役を務めていたところに特徴がある。12世紀の前半ころ東牧の年貢分は藤原頼通(よりみち)により奈良春日社(春日大社)に寄進され,摂関家に留保された雑役(ぞうえき)分は近衛家領となって伝領された。一方西牧は12世紀後半,時の藤原氏氏長者近衛基通(もとみち)から春日社に寄進された(近衛家への雑事役は留保)。これにより両牧とも本所が近衛家,領家が春日社となり,支配は戦国期まで続いた。史料にみえる支配単位の地名は,東牧では時枝(ときえだ)名・吉志部(きしべ)村・粟生(あお)村・片山村山田村・宿久(すく)村・水尾村など,西牧では萱野(かやの)郷・桜井郷・六車(むぐるま)郷・榎坂(えさか)郷などで,東牧では村単位に支配されていた。

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