世界大百科事典(旧版)内の埋忠家の言及
【埋忠明寿】より
…京都西陣に住んだ。埋忠家は刀の磨上,金象嵌(ぞうがん)の施入,拵(こしらえ)や金具の製作を組織的に行った工房であり,明寿はその指導的立場の人とみられ,足利義昭,豊臣家,徳川家の御用を務めたと伝えられる。刀剣においては刀身に玉追竜や不動明王などの図様を彫り,前時代にはない新生面をみせる。…
※「埋忠家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…京都西陣に住んだ。埋忠家は刀の磨上,金象嵌(ぞうがん)の施入,拵(こしらえ)や金具の製作を組織的に行った工房であり,明寿はその指導的立場の人とみられ,足利義昭,豊臣家,徳川家の御用を務めたと伝えられる。刀剣においては刀身に玉追竜や不動明王などの図様を彫り,前時代にはない新生面をみせる。…
※「埋忠家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新