日本大百科全書(ニッポニカ) 「堀米庸三」の意味・わかりやすい解説
堀米庸三
ほりごめようぞう
(1913―1975)
西洋中世史家。山形県に生まれる。東京の芝中学校から第一高等学校を経て東京帝国大学西洋史学科を卒業し、神戸商科大学(1941~47)、北海道大学(1947~56)を歴任したのち、1956年(昭和31)から東京大学教授(文学部西洋史学科)を務めた。北大在職中に発表した『中世国家の構造』(1949)は封建社会における国家のありようをめぐる幅広い論議を喚起した。東大に移ってからは総合的な西洋中世史像を考える傾向を強めた。『中世の光と影』(1967)はその成果の最良のものである。1968年以降、東大紛争が激化した。堀米は一時は文学部長として紛争の解決に努力するとともに、つねに文明論的視点からこれを評価する発言を絶やさなかった。
[堀越孝一]
『『中世の光と影』(講談社学術文庫)』▽『『中世国家の構造』(『ヨーロッパ中世世界の構造』所収・1976・岩波書店)』