江戸幕府職制。江戸末期、西洋列強の開国要求により生じた新しい外交事態に対処するため、1858年(安政5)7月8日設置された。アメリカ駐日代表ハリスとの間に通商条約が調印された直後のことである。石高は2000石、格式は老中支配で遠国(おんごく)奉行より上位。従前は海防掛が行った職務であるが、老中の命を受けて外交交渉を総轄した。定員は5名で当初は老中阿部正弘(あべまさひろ)に抜擢(ばってき)された開明的能吏が多く、日米修好通商条約に調印した井上清直(きよなお)、岩瀬忠震(ただなり)をはじめ、水野忠徳(ただのり)、永井尚志(なおゆき)(「なおむね」とも読む)、堀利煕(としひろ)がその職にあった。1867年(慶応3)6月29日、外国事務総裁が新設されると、その指揮を受けたが、翌年幕府倒壊とともに廃止された。
[田中時彦]
『土居良三著『幕末五人の外国奉行 開国を実現させた武士』(1997・中央公論社)』
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1858年(安政5)日米修好通商条約の調印を契機に,外交事務を担当するため,既存の海防掛を廃止して設置された江戸幕府の職名。水野忠徳,井上清直,岩瀬忠震(ただなり)ら5名が最初に任命されたが,人員は10名以下で一定しない。老中の下に属し,諸大夫より任命され,高2000石,手当300両,芙蓉之間詰,遠国奉行上席。奉行の配下に,組頭,調役,調役並,翻訳方,定役元締,定役,出役などがあり,62年には,外国奉行並が置かれた。また,1859年から1年間は,神奈川奉行を兼帯した。1868年2月に廃止となる。海防掛が,対外政策,さらにはそれと密接にかかわる国内政策の立案にあたる機能をも果たしたのに対して,外国奉行は,外国関係の実務担当者としての性格が強いが,外交実務の熟練者が輩出した。なお,外国奉行所の文書の一部は,東大史料編纂所に,外務省引継書類として所蔵されている。
執筆者:藤田 覚
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幕末期の幕府の職名。1858年(安政5)7月海防掛を廃し,はじめて外交を扱う役職として設置。田安家家老水野忠徳(ただのり)・勘定奉行永井尚志(なおゆき)・目付岩瀬忠震(ただなり)が任じられ,ほかに2人が外国奉行兼帯となった。1854年日米和親条約締結後しばらくは海防掛を外交事務にあたらせていたが,56年外国御用取扱を命じられた老中堀田正睦(まさよし)のもとで堀田を補佐する外交機関がおのずから成立し,58年の外国奉行設置へつながった。外国奉行の下に支配組頭・支配調役・支配調役並,さらに定役・同心がおかれ,外国奉行以下を外国方といった。
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