大島中村(読み)おおしまなかむら

日本歴史地名大系 「大島中村」の解説

大島中村
おおしまなかむら

[現在地名]笠岡市大島中

西大島にしおおしま村の東にあり、東は東大島村(現浅口郡寄島町)、南は海に面する。中大島村ともよばれた。古代浅口あさくち郡大島郷(和名抄)、中世大島保の遺称地。慶長八年(一六〇三)備前岡山藩領となり、寛文一二年(一六七二)からは鴨方藩領で(撮要録)幕末に至る。寛永備中国絵図には中大島村とあり、高一千七一五石余で、中大島のうちとして東・西大島村の記載がある。正保郷帳では林山少・芝山大と注記され、枝村として西大島村・正当しようとう(正頭)村・大工おく村・小黒崎こぐろさき村・とりのえ(鳥ノ江)村・東大島村・国頭くにとう村の七村がみえ、正頭・大工は現在の大島中、小黒崎・鳥ノ江は西大島、国頭寄島よりしま町東大島の字として残る。天保郷帳でも大島中村(高三千八〇二石余)一村で高付されるが、天保一〇年(一八三九)の鴨方藩領手鑑(笠原家旧蔵)などでは東・西・中それぞれで記載があり、実質的には三村に分れていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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