大戸清上(読み)オオトノキヨガミ

デジタル大辞泉 「大戸清上」の意味・読み・例文・類語

おおと‐の‐きよがみ〔おほと‐〕【大戸清上】

[?~839]平安初期の雅楽家。河内の人。笛師として雅楽寮に仕えた。作曲にも優れ、仁明にんみょう天皇時代楽制改革中心人物承和5年(838)渡唐。翌年帰国の際、殺された。

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精選版 日本国語大辞典 「大戸清上」の意味・読み・例文・類語

おおと‐の‐きよがみ おほと‥【大戸清上】

平安初期の雅楽寮の楽人。河内の人。作曲と横笛をよくし、仁明朝の楽制改革の中心人物。承和元年(八三四)良枝宿禰(よしえのすくね)の姓を賜わる。承和年間(八三四‐八四八)渡唐。帰路、賊に殺害された。

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改訂新版 世界大百科事典 「大戸清上」の意味・わかりやすい解説

大戸清上 (おおとのきよかみ)
生没年:?-839?(承和6?)

平安初期の楽師で笛と作曲の名手。阿倍氏の支流で,河内国の人。一族の朝生らとともに雅楽寮に出仕して権少属となる。834年(承和1)正月の宮中の内宴に笛を吹き,できばえがよかったので,時の仁明天皇の勅により,位階を外正六位上から外従五位下に上げられた。その年末に良枝宿禰の姓を賜る。838年,遣唐音声長として遣唐使に従って入唐したが,その翌年帰国の船が〈南海の賊地〉(場所不明)に漂着,そこで殺されたという。承和楽,清上楽,海青楽など十数曲は清上の作曲と伝える。中でも承和楽は,菊の宴のとき,勅命により作曲し,年号曲名にされたもの。清上楽は,入唐に当たって作曲,勅命によりその名を曲名にされたといい,また海青楽は,仁明天皇の神泉苑行幸のとき,船が苑内の中島を一周する間に新曲を作れという勅命に応じて作られたと伝えられている。その弟子和邇部大田麻呂(わにべのおおたまろ)も笛の名手であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大戸清上」の意味・わかりやすい解説

大戸清上
おおとのきよかみ
(?―839)

平安初期の笛の名手。雅楽寮の笛師。仁明(にんみょう)天皇の御即位大嘗会(だいじょうえ)(834)に『拾翠楽(じゅすいらく)』『応天楽』を作曲したのをはじめ、『安摩』『胡飲酒(こんじゅ)』、自らの名をとった『清上楽(せいじょうらく)』(『聖浄楽』とも)を改作するなど、尾張浜主(おわりのはまぬし)とともに当時の楽制改革に貢献した。仁明天皇が神泉苑(しんせんえん)に行幸の際船楽(ふながく)があり、船が一巡する間にとの勅命に従い篳篥師(ひちりきし)尿麿(はりまろ)と『海青楽(かいせいらく)』をつくって献じたという。838年(承和5)遣唐使として琵琶師(びわし)藤原貞敏(さだとし)らと渡唐したが、翌年8月帰国時に難船、南海の賊に殺害されたという。

[橋本曜子]

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朝日日本歴史人物事典 「大戸清上」の解説

大戸清上

没年:承和6.8(839)
生年:生年不詳
平安時代初期の雅楽奏者。姓は「おおと」とも。雅楽寮に出仕し,渡来するアジア諸国の楽器や演奏形式などを整備し,日本の雅楽の基礎固めに尽力した。「胡飲酒」「安摩」の曲を改訂,「秋風楽」「拾翠楽」「海青楽」などを作曲。笛の門人には和邇部大田麻呂,常世乙魚などがいる。承和5(838)年7月,遣唐使の藤原常嗣に従って僧円仁や琵琶の名人藤原貞敏と共に唐に渡り,音楽を学んだ。翌年8月帰国のとき,船が逆風にあって南海の小島に流され,そこで賊に殺されたと伝えられる。とすると残念ながら清上の学んだ音楽は,日本へは伝わらなかったことになるが,古代文化の受容がいかに命がけであったかが知られる。

(蒲生美津子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大戸清上」の意味・わかりやすい解説

大戸清上
おおどのきよかみ

[生]?
[没]承和6(839)
平安時代初期の雅楽の作曲家。「おおべのきよかみ」「おびとのきよかみ」ともいう。笛の名手で,楽人として初めて従五位下に列せられた。『壱団嬌 (いっときょう) 』『拾翠楽 (じゅすいらく) 』『秋風楽』『清上楽 (せいしょうらく) 』など,日本で作曲された雅楽曲の最古のもので彼の作と伝えられるものは非常に多い。仁明天皇,和邇部太田麿 (わにべのおおたまろ) ,良峰宗貞ら彼に師事した者も多い。承和5 (838) 年渡唐したが,翌年帰朝の途次客死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大戸清上」の解説

大戸清上 おおとの-きよかみ

?-839 平安時代前期の雅楽家。
雅楽寮につとめ,承和(じょうわ)元年横笛の演奏により外従五位下をうける。作曲にもすぐれ,「承和楽」「海青楽」「清上楽」などをつくったとされる。遣唐音声長(おんじょうちょう)として唐(とう)(中国)にわたり,帰国の途中難船して承和(じょうわ)6年賊に殺されたといわれる。河内(かわち)(大阪府)出身。姓は「おおべ」ともよむ。

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世界大百科事典(旧版)内の大戸清上の言及

【安摩】より

…《安摩》だけ独立して舞われることはほとんどなく,《二ノ舞》と続けて舞われ,《二ノ舞》は《安摩》の答舞の型となっている。天平のころ,林邑(今のベトナム)の僧仏哲が伝えたものを,承和年間(834‐848)に大戸清上が改作したといわれる。演奏次第は,壱越調調子・音取―乱序(鹿婁(ろくろ)乱序といい,これ以下,笛と打物のみで奏する。…

【雅楽】より

…この傾向はその後も続き,10世紀に入ると〈御遊〉という形で,もっぱら鑑賞のために管絃などが行われるようになった。 このような風潮のうちで邦人作曲家によって外来楽の様式を模した作品が多くつくられ,大戸清上(おおとのきよかみ)の《北庭楽》《拾翠楽》《海青楽》《壱団橋》,藤原忠房の《延喜楽》,源博雅の《長慶子(ちようげし)》など,その多くは今日も演奏されている。また9世紀前半ころに催馬楽,10世紀末までには朗詠という,いずれも声楽中心の新しい種目がつくられた。…

【青海波】より

…輪台,青海はともに中国の西域地方の地名とされ,《輪台》は唐時代に中国で作られ日本に伝えられたとする説や,承和年間(834‐848)に勅命によって,大納言良岑安世(よしみねのやすよ)が舞を作り,小野篁(おののたかむら)が詠(えい)(現在,詞のみ残っているが,発声法が伝わっていない)を作ったという説もある。一方,《青海波》は,音楽を太田麿あるいは大戸清上(おおとのきよがみ),舞を良岑安世が作ったとされる。この曲を正式に演奏するには多くの人数と時間,それに複雑な作法を必要とするので,近来は省略した形で行われている。…

※「大戸清上」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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