大方村(読み)おおかたむら

日本歴史地名大系 「大方村」の解説

大方村
おおかたむら

[現在地名]佐伯町加三方かみがた

王子おうじ川中流域に臨む金子かなご(三〇〇・一メートル)北麓にあり西は田中たなか村、東は三宅みやけ村、北は土生はぶ村。慶長一〇年(一六〇五)の備前国高物成帳(備陽記)佐井木さいき庄大方村とある。寛永備前国絵図に村名がみえ、高一七三石余。「備陽記」では田畠一四町七反余、家数二一・人数一〇〇、岡山城下京橋きようばしまで道程六里半、池五。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」によれば、直高三〇二石余、家老土倉四郎兵衛の給地。


大方村
おおかたむら

[現在地名]金砂郷村大方

山田川とあさ川の下流の間にあり、西は竹合たけあい村・花房はなふさ村。建武三年(一三三六)八月の伊賀盛光軍忠状(飯野八幡社文書)によると、佐竹義篤瓜連うりづら(現那珂郡瓜連町)を攻めたとき、「御敵小田宮内少輔并広橋修理亮以下凶徒、同国馳向花房山大方河原之間、致合戦忠節候畢」とみえる。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「大方村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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