大村神社(読み)おおむらじんじや

日本歴史地名大系 「大村神社」の解説

大村神社
おおむらじんじや

[現在地名]青山町阿保

阿保あおの東部、木津きづ川南の小丘上に鎮座する。祭神は大村神・武甕槌神ほか一九柱。旧県社。「延喜式」神名帳の伊賀郡に「大村神社」があり、「三代実録」貞観五年(八六三)三月一六日条に「伊賀国正六位上大村神、応感神並授従五位下」とみえ国史現在社である。嘉吉元年(一四四一)の興福寺官務牒疏によると、興福寺配下の伊賀国六ヵ所の一つとして「大村神二座」とあり、「春日明神、神護景雲元年、神自常州三笠山遷座之刻、暫御休座地也」と注記している。「三国地志」によれば、永正年間(一五〇四―二一)もりの里より火が出て罹災、天正九年(一五八一)の兵火にかかるが、同一五年再建されたと伝え、この時の棟札が残る。本殿明治二三年(一八九〇)新築されたが宝殿として現存、桃山時代の様式をよく残し、国指定重要文化財

大村神社
おおむらじんじや

[現在地名]浜玉町大字五反田

五反田ごたんだ集落北西に位置する。旧村社。藤原広嗣を祀る。かつては無怨寺むえんじ大明神と称した。

松浦廟宮先祖次第並本縁起によれば、大宰少弐であった広嗣は反乱を起こし、松浦の橘浦で死んだが、その後公卿の妖死するものが続いたので、吉備真備は勅により六尺弥勒仏像を造り、天平一七年(七四五)廟殿二宇を造り安置したのが神宮知識無怨寺であるという。「類聚三代格」の承和二年(八三五)の官符には「応住肥前国松浦郡弥勒知識寺僧五人事」とある。だが真備の造立したのはかがみ神社(現唐津市)神宮寺としての弥勒知識寺である。

無怨寺大明神別録によれば、広嗣は茅原ちはら浦に着き、そのとき里人の翁が浦中の物音を止め、焼火でもてなしをした。

大村神社
おおむらじんじや

[現在地名]大村市玖島

祭神は大村家の歴代当主および藤原鎌足・藤原純友。旧県社。かつては池田いけだ山に鎮座。文化二年(一八〇五)大村藩一〇代藩主の大村純昌が同氏の祖という藤原純友と大村氏一族を御霊宮ごりようぐう大明神として池田山に祀ったことに始まるという(大村郷村記)。同一一年大村純鎮、天保九年(一八三八)大村純昌の神霊を祀り、年中祭祀料は藩主から出された。明治三年(一八七〇)歴代領主のうち一二柱を合祀して、常磐ときわ神社と改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「大村神社」の解説

大村神社

三重県伊賀市にある神社。延喜式内社。祭神は大村神(おおむらのかみ)ほか。宝殿は国の重要文化財に指定。拝殿の西には大地を揺るがす大なまずを押さえつける霊石とされる「要石」が祀られ、地震除災の信仰を集める。

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