日本大百科全書(ニッポニカ) 「大江季雄」の意味・わかりやすい解説
大江季雄
おおえすえお
(1914―1941)
陸上競技の棒高跳び選手。京都府に生まれ、慶応義塾大学卒業。1936年(昭和11)、オリンピック・ベルリン大会の棒高跳びで、アメリカのメドウス(当時世界記録保持者)、セプトン、グレーバー、日本の西田修平との計5人で争われた決勝戦は有名。夜間照明の下、延々5時間余にわたった競技で、結局4.35メートルをクリアしたメドウスの優勝が決まった。2、3位は西田、大江の争いとなり、審査員がこれ以上競技を続けることは過酷であると判断し、順位は日本関係者間で相談して決めるという、オリンピック史上初の裁定を下した。結局年長者西田が2位となったが、2人は相談のうえ銀・銅のメダルを半分ずつつなぎ合わせて持つことにし、「友情のメダル」として話題になった。翌37年、招待されたアメリカ室内競技大会でメドウスに雪辱し、同年4.35メートルを跳んで当時の日本記録を樹立している。太平洋戦争初期、フィリピンのラモン湾で戦死。
[石井恒男]