出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
映画俳優。日本映画史上屈指の名作《忠次旅日記》三部作(1927)で悲運の国定忠治を好演,激烈さと暗さに満ちた風貌と演技で妖気のような魅力を放って,当時の暗い世相に訴え,人気を博した。白塗り美男という従来の時代劇スターの定型が,ここで破られたといえる。この作品の伊藤大輔監督とは,主演第1作《長恨》(1926)での決定的な出会い以降,コンビで《血煙高田馬場》《素浪人忠弥》《興亡新撰組》《御誂次郎吉格子》などの名作を生んだ。その多くは撮影が唐沢弘光,共演が伏見直江である。その中の1作《新版大岡政談》(1928)では,大岡越前守とともに片目片腕の虚無的な剣客丹下左膳を二役で演じたが,左膳役がとりわけ人気を呼んで,作品はシリーズ化され,トーキー作品《丹下左膳》(1933)では〈シェイは丹下,名はシャジェン〉というせりふ回しが有名となり,以後,1950年代まで繰り返し演じた。芸名は生地の福岡県上毛郡大河内村に由来する。本名は大辺男(ますお)。大阪商業学校を卒業後,会社勤めをしたが,倉橋仙太郎の第二新国劇に参加,25年,《若き日の忠次・弥陀ヶ原の殺陣》における目明し役で映画に初出演した。26年,日活へ入社,以来12年間に約100本の映画に出演し,尾上松之助に次ぐ日活時代劇の大スターといわれた。その間のおもな作品には,前記のほか,内田吐夢監督《仇討選手》,山中貞雄監督《盤嶽の一生》《鼠小僧次郎吉》,稲垣浩監督《大菩薩峠》などがある。魁偉(かいい)な容貌で悲劇的人物を演ずることが多く,走るシーンの迫力が名高いが,一転して瓢逸(ひよういつ)な役柄をも好演した。37年,日活から東宝へ移り,《ハワイ・マレー沖海戦》《わが青春に悔なし》などの現代劇にも出演し,46年の東宝争議の際には長谷川一夫らと〈十人の旗の会〉を結成,翌年の新東宝誕生のきっかけとなった。さらに,大映,東映と,各社を転々とするなか,無数の作品に出演し,時代劇の渋みのある名脇役として死の前年まで活躍した。
執筆者:山根 貞男
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映画俳優。本名大邊男(おおべますお)。福岡県生まれ。劇作家を志して新国劇文芸部に入ったが、のち俳優に転向し、1926年(大正15)日活へ入社した。伊藤大輔(だいすけ)監督に認められて『長恨(ちょうこん)』(1926)でデビュー。以来同監督の『忠次(ちゅうじ)旅日記』三部作(1927)、『血煙(ちけむり)高田馬場』(1928)などに主演、重厚な顔だちとまじめな演技で人気スターとなる。『新版大岡政談』(1928)で演じた丹下左膳(たんげさぜん)は彼の当り役となった。トーキー以後は訛(なま)りのある独得の発声が逆の魅力となり、現代劇にも重厚な演技をみせた。晩年に造営した京都小倉山(おぐらやま)の山荘は、大河内山荘として洛西(らくせい)の名園となっている。
[長崎 一]
『富士正晴著『大河内伝次郎』(中公文庫)』
大正・昭和期の俳優
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…そして尾上松之助の死後,河部五郎を後継スターとして時代劇を量産するうち,まもなく日活が時代劇における決定的な大変革をもたらした。すなわち,〈時代劇〉の呼称を生み出した伊藤大輔がみずからの脚本,監督のもと,《長恨》に続いて新スター・大河内伝次郎と組んだ《忠次旅日記》三部作(1927)の出現である。この作品は,あくまで時代劇ならではの手法を駆使して1人の無法者の流転と敗残の姿を描きつつ,現代的ともいえる人間の感情をなまなましく表現して,時代劇を超える時代劇として絶賛され,以後,日本映画史上の最高傑作の一つとみなされている。…
…【尾崎 秀樹】
[映画]
妖剣をふるう盲目の剣客机竜之助の特異な人物像,彼をめぐる多彩な登場人物の流転,波瀾万丈の筋立てなど,あらゆる点で時代劇映画の魅惑をそなえているところから,《大菩薩峠》はこれまでに5度も(本数にして12本)映画化されている。 最初の映画化は日活の《大菩薩峠》二部作(1935‐36)で,監督は稲垣浩(第1部には山中貞雄と荒井良平が応援監督),机竜之助には大河内伝次郎,お浜には入江たか子が扮した。第2回は東映の《大菩薩峠》三部作(1953)で,監督は渡辺邦男,机竜之助を片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を三浦光子が演じた。…
…隻眼隻手の超人的怪剣士・丹下左膳が,スクリーン上に初めて登場したのは1928年5月のことである。原作は林不忘(ふぼう)の《大岡政談・鈴川源十郎の巻》で,この映画化が3社競作となったため,日活版の大河内伝次郎,東亜キネマ版の団徳麿,マキノ版の嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)と,同時に3人の丹下左膳が出現した。3本の映画はいずれも《新版大岡政談》という題名で,監督は日活版が伊藤大輔,東亜キネマ版が広瀬五郎,マキノ版が二川文太郎である。…
…〈第三部御用篇〉は,伊藤大輔が唐沢弘光カメラマンと組み,〈移動大好き〉と呼ばれて時代劇のスタイルに新風を吹き込むことになる名コンビの第1作である。 上州の博徒国定忠次(大河内伝次郎)が,役人に追われて流浪し,周囲の人間に裏切られ,落ちていく悲劇を描く。その底に流れているのは権力に対する反抗の思想で,忠次が命をかけてたたかう相手は御用ちょうちんに象徴される権力である。…
… 初のトーキー〈忠臣蔵〉は,32年の松竹作品《忠臣蔵》で,衣笠貞之助監督,阪東妻三郎の大石内蔵助,林長二郎(のち長谷川一夫)の浅野内匠頭などのオールスター・キャストである。34年には日活が,伊藤大輔監督,大河内伝次郎の大石内蔵助,片岡千恵蔵の浅野内匠頭で,トーキー《忠臣蔵》をつくった。こうして各社のオールスター作品がつづくなか,真山青果原作で前進座などの演劇人と松竹スターが出演した溝口健二監督《元禄忠臣蔵》二部作(1941‐42)が,芸術性の高いものとして注目を集め,この作品以降,第2次世界大戦中には本格的な忠臣蔵映画は姿を消した。…
※「大河内伝次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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