大津代官所跡(読み)おおつだいかんしよあと

日本歴史地名大系 「大津代官所跡」の解説

大津代官所跡
おおつだいかんしよあと

[現在地名]大津市浜大津一丁目

大津町と近江などの幕府領管轄した幕府代官所跡。大津城廃城のあと本丸跡に造営されたもので、寛保二年町絵図には湖上に突き出した一画に御蔵(幕府蔵)とともにみえ、御代官と記されるが、その規模はつまびらかでない。代官所は慶応四年(一八六八)大津裁判所(のち大津県)に引継がれる。慶長期(一五九六―一六一五)に大久保長安を大津町奉行・大津奉行とする例があるが、これは国奉行としての役割のうちとくに大津を統治する権限をさしたものと考えられている。江戸時代初期、大津代官であった小野氏は天正期(一五七三―九二)に近江守山の代官であったとされ、慶長五年以後大津の豪商小野貞則を初見としてこの代官職にあったことが確認される。以後貞勝・貞則(再任)・貞正などと続き、元禄一二年(一六九九)の宗清まで小野氏が在任した。ただし慶長期には鈴木織部も同時に代官職にあった。その後は雨宮寛長(元禄一二年より)・古郡年明(正徳二年より)が継ぐが、享保七年(一七二二)大津町が京都町奉行の管轄となったのに伴い退任

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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