日本歴史地名大系 「大輪田村」の解説
大輪田村
おおわだむら
[現在地名]河合町星和台 一―二丁目・中山台 一―二丁目・広瀬台 一―三丁目・高塚台 一―三丁目・大字大輪田
慶長郷帳には「大和田村」とみえる。村高は三三八・一八石。慶長期(一五九六―一六一五)の領主は御番衆。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となり、同藩の二割半無地高増政策で村高は四三二・七二五石となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長郷帳には「大和田村」とみえる。村高は三三八・一八石。慶長期(一五九六―一六一五)の領主は御番衆。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となり、同藩の二割半無地高増政策で村高は四三二・七二五石となる。
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