朝日日本歴史人物事典 「大迫尚道」の解説
大迫尚道
生年:安政1.7.25(1854.8.18)
明治大正期の陸軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士大迫新造の次男。陸軍大将大迫尚敏は兄。明治12(1877)年陸軍士官学校卒業(砲兵科)。参謀本部員,局長を経て22年ドイツへ留学,最新の砲術を学んで帰国。日露戦争(1904~05)には野戦砲兵第2旅団を率いて出征,203高地から旅順港を砲撃してロシア旅順艦隊を壊滅に追い込み,その功で戦後,野砲兵監に進んだ。のちに第4師団長,軍事参議官へ転じ大正4(1915)年大将に昇進した。退役後は救世団を組織,愛国思想の鼓吹に努めた。また大正9年の東京市電ストライキの仲裁に当たり,免職になった職員の多くを明治神宮造営事業にあっせんするなど,武人一辺倒ではない多彩な活動をみせた。
(山崎有恒)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報