日本歴史地名大系 「大里」の解説
大里
おおざと
室町期には興福寺領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
室町期には興福寺領
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沖縄県沖縄本島南部、島尻(しまじり)郡にあった旧村名(大里村(そん))。現在は南城市(なんじょうし)の北西部を占める地域。方音ウフサト。旧大里村は1949年(昭和24)与那原(よなばる)町を分離。2006年(平成18)玉城(たまぐすく)村、知念(ちねん)村、佐敷(さしき)町と合併、市制施行して南城市となった。旧村域の東側に、南北に走る新期石灰岩の大里台地があるほかは小起伏の地形で、糸満(いとまん)市と与那原町を結ぶ県道が中央部を走る。14世紀、三山分立時代、南山正統の2代目承察度(しょうさっと)の叔父汪英紫(おうえいし)は、馬天(ばてん)港を修築し、対明(みん)貿易を行い、大里を発展させたが、中山(ちゅうざん)の尚巴志(しょうはし)に滅ぼされた。第二次世界大戦前からの純農村。稲嶺(いなみね)、平良(たいら)地区は南アメリカへの移民が多い。現在、サトウキビを主幹作物として、畜産や野菜生産も盛ん。三山時代の南山系の大里城跡がある。また14世紀ころの城主であった大城按司(あんじ)の墓が県の文化財となっている。
[堂前亮平]
『『大里村史 通史編』『大里村史 資料編』(1982・大里村)』▽『『大里村史 移民本編』『大里村史 移民資料編』(2003・大里村)』
埼玉県北部、大里郡にあった旧町名(大里町(まち))。現在は熊谷市(くまがやし)の南部を占める地域。1955年(昭和30)市田(いちだ)村と吉見(よしみ)村が合併し大里村となる。2002年(平成14)町制施行。2005年(平成17)熊谷市に合併。旧町域の大部分は荒川の沖積平野にあるが、南西の一部が比企(ひき)丘陵にかかる。かつては米と養蚕中心の農村であったが、近年花卉(かき)や野菜栽培も盛んになった。東部を流れる荒川は、1629年(寛永6)関東郡代伊奈忠治(ただはる)によって瀬替え工事で掘られた部分で、以来長い間水害に悩まされた。国道407号が町の西部を走る。冑山(かぶとやま)古墳、とうかん山古墳は県史跡に指定されており、そのほか古墳や古代住居跡が数多く存在する。埼玉県立埋蔵文化財センターがある。
[中山正民]
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