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「大野荘(大分)」の意味・わかりやすい解説
大野荘(大分)【おおののしょう】
豊後国の荘園。古代の大野郡大野郷の地に成立。荘域は現在の大分県大野町・朝地町から千歳村(3町村とも現・豊後大野市)西部にかけて。1198年までに豊後大神氏一族の大野氏によって山城国三聖(さんしょう)寺(現,京都市東山区)に寄進されたと推定される。荘官の大野氏はのち鎮西奉行中原親能(ちかよし)に滅ぼされ,地頭職は親能から猶子の大友能直,能直から妻深妙に譲られた。1240年深妙はこれを子息らに配分,以後上村・中村・下村・志賀村の大野荘4ヵ村は一万田氏・託磨氏・志賀氏など大友氏庶流が伝領。《豊後国弘安図田帳》(1285年)では総田積300町,内訳は上村51町・中村76町・下村100町・志賀村73町。鎌倉時代には志賀村(北方・南方)・中村・下村で下地中分が行われた。三聖寺領として戦国期まで存続するが,1587年大友義統は大野荘4ヵ村1000貫を豊薩合戦で軍功のあった岡城(現,大分県竹田市)城主志賀親善に与えている。
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