大長村(読み)おおちようむら

日本歴史地名大系 「大長村」の解説

大長村
おおちようむら

[現在地名]豊町大長・御手洗みたらい沖友おきとも

大崎下おおさきしも島の東部に位置し、西は久比くび村と大浜おおはま(現豊浜町)。東北の対岸岡村おかむら(愛媛県越智郡)に面する側に大長(本郷谷)御手洗集落、南部いつき灘に面して沖友おきとも谷の集落があるが、御手洗は近世中期に町として独立した。大長・沖友も早くから開発されており、応永二九年(一四二二)四月二二日付の善善麻女性某連署譲状写(小早川家文書)に「大条浦・興友浦」の名がみえる。「国郡志下調書出帳」には「往古より永禄之頃迄大条村と書来り候、慶長年中より大長村と書申候」、また「当村之義永享・文明之頃迄伊与国越智郡之内之由、慶長年中より安芸国豊田郡大崎嶋之内大長村と旧記ニ御座候」と記される。「芸藩通志」には「広四十五町、袤三十町」とある。

元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では大崎上・下両島を併せた地が大崎島として二六四〇・三九石、同村新かい一六・〇七石とあり、寛永一五年(一六三八)の大長村地詰帳(宇津神社蔵)によると、大長・沖友・御手洗の三地域を含めて田方一〇町四反余、畠四四町五反余、屋敷四反五畝余(五四軒)で、村高は三一九・六六一石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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