大長野村(読み)おおながのむら

日本歴史地名大系 「大長野村」の解説

大長野村
おおながのむら

[現在地名]寺井町大長野

小長野こながの村の南、手取川とかけはし川に挟まれた平坦地に立地。中世には長野保・長野新保に属したと推定される。正保郷帳によると高一千三九七石余、田方七七町余・畑方五町一反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高一千三〇五石、免三ツ八歩(三箇国高物成帳)。天明五年(一七八五)の村鑑(森文書)によれば、正徳元年(一七一一)に三三九石の検地引高、享保一七年(一七三二)に一石余の手上高が算定され、高九六七石余。収納米は小松御蔵入。散小物成として油臼役と油振売棒役を負担。家数五五(百姓四一・頭振一四)、人数二六七(男一三一・女一三六)で、うち男五人・女三人が他所奉公に出ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android