大館氏明(読み)おおだち・うじあき

朝日日本歴史人物事典 「大館氏明」の解説

大館氏明

没年康永1/興国3.9.3(1342.10.3)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。上野国新田郡大館(群馬県尾島町)出身の国人。宗氏の子。官は左馬助。正慶2/元弘3(1333)年,父と共に新田義貞に従い鎌倉攻めに参陣。建武3/延元1(1336)年1月北畠顕家に従って近江佐々木氏頼を攻撃。翌月の足利尊氏西走後は播磨室山に赤松則村を攻め,5月の湊川合戦に参加。次いで後醍醐天皇の山門行幸にも従事。天皇の吉野逃亡後,南朝の伊予守護として土居・得能両氏と共に四国を経略したが,康永1/興国3(1342)年脇屋義助の没後伊予に侵入した北軍の細川頼春に居城世田城を攻撃され9月3日落城,自刃した。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大館氏明」の解説

大館氏明 おおだち-うじあき

?-1342 南北朝時代の武将。
大館宗氏の子。上野(こうずけ)(群馬県)新田荘大館郷の人。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年父や兄弟とともに新田義貞の鎌倉攻めに従軍。のち播磨(はりま)の赤松則村を攻め,湊川(みなとがわ)の戦いにも参陣。後醍醐(ごだいご)天皇の吉野行きののち,南朝方の伊予(いよ)守護となるが,足利方の細川頼春に伊予世田城を攻められ,康永元=興国3年9月3日自害した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android