天江 富弥(読み)アマエ トミヤ

20世紀日本人名事典 「天江 富弥」の解説

天江 富弥
アマエ トミヤ

大正・昭和期の児童文化研究



生年
明治32(1899)年

没年
昭和59(1984)年6月22日

出身地
宮城県仙台

本名
天江 富蔵

学歴〔年〕
明治大学商科〔大正9年〕卒

主な受賞名〔年〕
仙台市文化功労賞〔昭和48年〕

経歴
明大商科を卒業した翌年の大正10年、仙台で“おてんとさん社”を結成して童謡誌「おてんとさん」を創刊。全国に先がけて児童文化運動を始めた。以降、一貫して児童文化と郷土文化の研究にあたり、竹久夢二の研究家としても知られた。また、こけしを収集し、「こけし這子の話」を出版東北のこけしを全国に広めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天江 富弥」の解説

天江富弥 あまえ-とみや

1899-1984 大正-昭和時代の児童文学者。
明治32年3月22日生まれ。北原白秋らの童謡運動に共鳴し,大正10年仙台にスズキ・ヘキらとおてんとさん社を設立,わが国初の童謡専門誌「おてんとさん」を創刊。昭和45年おてんとさんの会会長。こけしの研究でも知られる。昭和59年6月22日死去。85歳。宮城県出身。明大卒。本名は富蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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