美応山宝勝院と号し、本尊薬師如来。真言宗御室派。天福寺由来記は、初名は清性寺といい、行基が草堂を構え自刻の薬師像を祀ったことに始まり、のち弘法大師が仏塔・僧房を整えて真言密教の精舎とし、円珍がさらに止観道場を建てて真言・天台両密教の兼学とした。そのとき寺域の四隅に神祠を建立、山王神を祀ったという草創伝承を記す。さらに同由来記は、菅原道真が国司として赴任中、薬師如来の霊異に深く帰依、「凶年饑歳、民窮国弊」を嘆じて仏の願力を請い、般若心経を書写して奉納したこと、また阿倍晴明がこの霊場を崇信して境内に宗祖の廟を建立したこと、天福年中(一二三三―三四)国司橘公忠が四条天皇の命により伽藍を修復、別に一院(平等寺)を建立したこと、この年天福寺と改称したこと、南北朝内乱期に退転したが細川頼之により再興されたことなどを述べている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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