奥羽仕置(読み)おうしゅうしおき

世界大百科事典(旧版)内の奥羽仕置の言及

【陸奥国】より

…戦国後期の伊達氏は,この結果得られた強力な軍事力をもとに,北進する常陸の佐竹氏との間で,南奥の国人の帰属をめぐる争いを行い,89年(天正17)伊達政宗が会津の蘆名義広(佐竹義重次男)を攻め滅ぼしたところで,豊臣秀吉の小田原攻めを迎え,争乱は終結せしめられた。伊達勢力の北辺に位置する葛西,大崎両氏は葛西七郡,大崎五郡を領する大勢力であったが,最後まで家中の統制に苦しみ,最終的には伊達氏の従属下に入って,秀吉の奥羽仕置による取りつぶしのうき目にあう。 一方北奥では最後まで一族一揆的な状態がつづき,南部氏の場合も一戸(いちのへ)から九戸までの一族諸氏が割拠的に分立,連合していた。…

※「奥羽仕置」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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