女淵城跡(読み)おなぶちじようあと

日本歴史地名大系 「女淵城跡」の解説

女淵城跡
おなぶちじようあと

[現在地名]粕川村女渕

戦国時代、赤城山南麓にあった城の一つで平城であった。築城者、築城年代は不詳。赤城山南麓地方の他の戦国期の城と同じように、越後上杉、甲斐の武田、小田原北条などの戦国大名の侵攻を受け、城主の変遷も多かった。城跡は東西二〇〇メートル、南北四五〇メートルに及び、主要部は南北三二〇メートル、最大幅九〇メートルの貯水池(濠)の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、五霊ごりよう曲輪が並ぶ。本丸の周囲の濠は広くて深い。北曲輪と本丸の東に帯曲輪が、二ノ丸と五霊曲輪を東から南に鉤形に囲んで三ノ丸がある。さらにその南に南曲輪、龍光寺りゆうこうじ曲輪が続く。東側全面を三メートルほどの深さの小流が限って自然の囲濠となっている。大きな濠(貯水池)の西側に三方を堀と土居で囲んだ西曲輪があり、その先に外濠があった。

永禄三年(一五六〇)三月上杉謙信が上野に入り、厩橋(前橋)城に滞在して上野の諸城を攻め落した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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