宗教学者、評論家。嘲風(ちょうふう)と号した。明治6年京都府生まれ。東京帝国大学哲学科卒業。ドイツ、イギリス、インドに留学。1905年(明治38)東大に最初の宗教学講座が開設されてその主任教授となり、独創性に富む多産な研究活動のかたわら、多数の門下を育てて宗教学の種をまいた。1930年(昭和5)には日本宗教学会を設立して、終生その会長を務めた。外国では日本の人文学界を代表する学者として知られ、アメリカのハーバード大学の日本文明講座をはじめ、欧米諸大学で講義を担任し、国際連盟学芸協力委員会の日本委員などを歴任して、東西の文化交流に貢献した。国内一般ではむしろ明治の文人として知られ、帝大在学中の同級の親友高山樗牛(たかやまちょぎゅう)らと雑誌『帝国文学』を創刊したのをはじめ、文明評論の健筆を振るって当時の浪漫(ろうまん)主義思潮に大きな影響を与えた。多面多作な著述のうち代表作に『宗教学概論』(1900)、『根本仏教』(1910)、『法華経(ほけきょう)の行者日蓮(にちれん)』(1916)、『切支丹(キリシタン)宗門の迫害と潜伏』(1925)、『聖徳太子の大士(だいし)理想』(1944)、評論集『復活の曙光(しょこう)』(1904)、絶筆となり没後刊行された自伝『わが生涯』(1951)がある。
[脇本平也 2016年8月19日]
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…彼の哲学は単なる人生論哲学にとどまるものではなく,意志を根源的存在と見るライプニッツ,カントの主意主義を受けつぎ,ニーチェの〈力への意志〉の哲学を準備するものとして,ドイツ形而上学の伝統に確固たる位置を占めるものである。なお,ショーペンハウアーの哲学は日本でも1892年に高山樗牛の《厭世論》によってはじめて一般に紹介され,1910‐12年姉崎正治による主著の翻訳《意志と現識としての世界》が出されて以来,大正から昭和にかけて,むしろ学生や一般の読書人によって,ニーチェとともに人生論哲学の書として熱心に読みつがれてきた。【木田 元】。…
…インド哲学をドイツに紹介した功績は大きく,また,《ショーペンハウアー全集》の編纂者でもある。なお,東大の宗教学教授で,初代図書館長でもあった姉崎正治はドイッセンの下に学んだ。 インド哲学の研究者としてのドイッセンは当然のことながらウパニシャッドを中心に研究した。…
※「姉崎正治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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