婦選獲得同盟(読み)ふせんかくとくどうめい

山川 日本史小辞典 改訂新版 「婦選獲得同盟」の解説

婦選獲得同盟
ふせんかくとくどうめい

第2次大戦前の女性参政権運動の中心的団体。女性参政権運動の大同団結のために,1924年(大正13)12月に婦人参政権獲得期成同盟会が結成され,翌年婦選獲得同盟と改称役員久布白落実(くぶしろおちみ)・市川房枝金子しげり河崎なつなど。会員は創立当初約200人,最盛期の30年(昭和5)頃には1700人で,各地支部が発足し,同年第1回日本婦選大会を主催。27年から機関誌「婦選」を発行戦争激化で40年解散。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の婦選獲得同盟の言及

【婦人参政権運動】より

…〈新婦人協会〉は〈婦人連盟〉に改組され,1923年には,団体の連合体として〈婦人参政同盟〉が結成された。また,関東大震災の救援活動を通じて集まった婦人団体が〈東京連合婦人会〉を組織し,その政治部が母体となって,24年に〈婦人参政権獲得期成同盟会〉(25年婦選獲得同盟と改称)が成立した。〈期成同盟会〉は,久布白(くぶしろ)落実,市川房枝を中心に活動を進め,婦人結社権,婦人公民権(地方政治への参政権),婦人参政権の3案を第50議会(この議会で普通選挙法が成立した)に提出し,以後毎議会にそれらを提出した。…

【婦人参政権獲得期成同盟会】より

新婦人協会以来の婦人参政権要求の運動を受け継ぎ,1924年(大正13)12月に結成された婦人団体。25年婦選獲得同盟と改称。久布白落実(くぶしろおちみ),市川房枝を主力に,進歩的知識婦人の多くをまきこみ,40年9月に解散するまで,婦人参政権運動の中心的な団体として活動した。…

【普選運動】より

…この間ほとんど傍観していた無産勢力は,以後,各派とも年齢引下げ,男女平等普通選挙を要求項目に掲げたが,この問題を主題とする大衆運動は起こらなかった。また24年に結成された婦人参政権獲得期成同盟会(翌年婦選獲得同盟と改称)の運動も戦前実を結ばず,男女平等普選は1945年12月17日の選挙法改正公布により実現した。【松尾 尊兊】。…

※「婦選獲得同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」