子貢(読み)シコウ

デジタル大辞泉 「子貢」の意味・読み・例文・類語

しこう【子貢】

[前520ころ~?]中国春秋時代の人。孔門十哲一人河南省)の人。姓は端木、名は賜。弁舌に巧みで、諸国を巡遊して政策を授け、と衛の宰相となった。貨殖の才でも知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「子貢」の意味・読み・例文・類語

しこう【子貢】

中国、春秋時代衛の儒者政治家。姓は端木。名は賜。孔子弟子。弁舌の才にめぐまれ、また、貨殖の才もあった。魯、衛の宰相となったという。(前五二〇頃‐前四五六頃

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「子貢」の意味・わかりやすい解説

子貢
しこう
(前521―?)

中国、春秋時代の人。孔子の弟子。姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)。子貢は字(あざな)、また子贛(しこう)とも書く。衛(えい)の人。四科十哲の言語にあげられる。孔門第一の利口巧辞の才があり、この才能は外交にきわめて有用で、斉(せい)・呉(ご)に使して魯(ろ)の危機を救った。叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)は子貢が孔子より賢であると述べたといい、時の政治家から重宝がられた。孔子の葬儀をとり仕切り、心喪3年ののち、さらに3年、喪に服したという。のち魯・衛の宰相になったという伝誦(でんしょう)がある。また貨殖(蓄財)の才があり、家千金を積み、孔門中もっとも富裕であった。後年は斉に行って死んだ。斉の儒学が盛んになったのは子貢もあずかって力あったと思われる。

[宇野茂彦 2015年12月14日]

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改訂新版 世界大百科事典 「子貢」の意味・わかりやすい解説

子貢 (しこう)
Zǐ gòng
生没年:前520-前456ころ

中国,春秋時代の人。孔子の門人。衛の人。姓は端木,名は賜。子貢は字である。弁舌に巧みで,すこぶる利殖にたけていた。魯に仕えたとき,斉,呉,越,晋などに遊説して,外交的手腕を発揮。孔子の死には6年間も喪に服し,のち衛に仕え,斉で死んだ。四頭立ての馬車におさまった子貢の威容に接し,諸侯や士大夫はその師の名を聞き,まだ見ぬ孔子に敬意を抱いたという。子貢を孔子の経済的支援者とみる説もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「子貢」の意味・わかりやすい解説

子貢
しこう
Zi-gong

[生]前520
[没]前456?
中国,春秋時代の学者。孔子の弟子で十哲の一人。姓は端木。名は賜。子貢は字である。衛の人。弁舌にすぐれ,商才にもたけていた。魯,斉,晋,呉,越の諸侯間に活躍した外交政治家でもあった。魯を去ってのちは衛や斉に仕えたという。

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世界大百科事典(旧版)内の子貢の言及

【四科十哲】より

…孔子の弟子は3000人もあり,そのうち六芸に精通した者が72人あったと伝えられるが,さらに最も傑出した人物については《論語》の先進篇に4科目に分けて,〈徳行には顔回(淵),閔子騫(びんしけん),冉伯牛(ぜんはくぎゆう),仲弓。言語(外交交渉の弁舌)には宰我,子貢。政事には冉有,季路。…

※「子貢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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