宇谷村(読み)うだにむら

日本歴史地名大系 「宇谷村」の解説

宇谷村
うだにむら

[現在地名]五色町鮎原宇谷あいはらうだに

鮎原西あいはらにし村の南東三野畑みのばた村の西にある。なか街道が北東より南西に通る。正保国絵図に村名がみえ、高二七一石余。天保郷帳では高三七六石余。反別戸数取調書では反別二八町七反余、高四五三石余はすべて蔵入地、ほかに南谷みなみだに村天満宮(現河上神社)領二石余があった。享保一一年(一七二六)の人数一七六、うち男八四で庄屋百姓七〇・僧一・禅門四・社人九、女九二(宇谷村庄屋家文書)

宇谷村
うたにむら

[現在地名]泊村宇谷

その村の西に位置する。日本海に面し、一里浜いちりはま宇谷島うたにしまがある。伯耆街道が通り、西は宇野うの(現羽合町)。拝領高一六七石余。加藤氏の給地(給人所付帳)

宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によれば朱高一八二石余、高一九六石余、うち畑高二七石余。免五ツ一歩、橋津はしづ御蔵(現羽合町)納。悪田・定加損米五石。塩浜役米四石・藪役銀三匁。棟数四軒・役高八〇人、男一二九・女一二八、禅門一、小漁船二艘(運上銀六匁)鰯網一側(同一三匁)小網一側(同六匁五分)

宇谷村
うだにむら

[現在地名]加賀市宇谷町

那谷なた川と合流して動橋いぶりはし川に流入する宇谷川の本・支流域を村域とし、北は栄谷さかえだに村、南東はたきはら(現小松市)。「白山之記」にみえる中宮三ヵ寺の一つ温谷うたに寺は当地にあったと考えられている。同書の永享一一年(一四三九)六月九日付の奥書には「加州温谷護法寺護摩堂」とみえ、寺は室町時代まで存在が確認できる。なお「源平盛衰記」巻四によると安元三年(一一七七)加賀国目代藤原師経に対して蜂起した白山宮の衆徒のなかに宇谷寺の衆徒も含まれていた。

宇谷村
うだにむら

[現在地名]木次町宇谷

西は寺領じりよう村、東は西阿用にしあよう(現大東町)。「雲陽大数録」に村名がみえ、高三七〇石。「郡村誌」によると田八五町余・畑五〇町余・宅地六町余、戸数一四一(うち社三)・人口五九五、牛七三・馬一一。物産は生人参を松江に、蘿蔔(大根)と薪を木次に出荷している。字本谷の室ほんだにのむろ山南山腹に鎮座する布須ふす神社は、室山さん、または室大明神と通称され、山全体を神体とした。本殿は玉垣一坪。玉垣の台石に「建久二年九月」の文字がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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