安井 好尚(読み)ヤスイ コウショウ

20世紀日本人名事典 「安井 好尚」の解説

安井 好尚
ヤスイ コウショウ

明治・大正期の農村指導者,教育者 大国英和学校長



生年
弘化4年9月28日(1847年)

没年
大正11(1922)年10月10日

出生地
石見国邇摩郡大国村(島根仁摩町)

経歴
石見国大国の大地主。明治10年島根県出品人総代として第一回内国勧業博覧会に出席したのを機に農事の近代化を志す。12年殖牛社を設立し、島根の三瓶山で牛の放牧を開始。さらに篤農家林遠里を大国に招き、福岡式農法を試みるなど技術の導入と研究を積極的に行った。また、勧農会や水産や蚕糸・畜産など各種の共進会を開催。その活動は農業のみにとどまらず、20年には私財を投じて大国英和学校を設立し、校長として教育にも力を注いだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井 好尚」の解説

安井好尚 やすい-こうしょう

1847-1922 明治-大正時代の農村指導者。
弘化4年9月28日生まれ。島根県大国村(仁摩町)の地主。西洋農法を研究し,明治12年島根県三瓶山(さんべさん)で牛を放牧する殖牛社を創立以後,勧業会や各種共進会を設立し,稲作養蚕・畜産・水産などの研究と技術指導をおこなう。20年私費で大国英和学校を開設した。大正11年10月10日死去。76歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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