安勢理村(読み)あせりむら

日本歴史地名大系 「安勢理村」の解説

安勢理村
あせりむら

[現在地名]与那城町安勢理あせり饒辺のへん

饒辺ぬひん村と隣接し、勝連かつちん間切平敷屋ひしちや(現勝連町)に至る坂の途中にあったとされる。絵図郷村帳には勝連間切のうちに「あせり村」とみえる。琉球国高究帳によれば高頭一〇一石余、うち田八石余・畠九三石余。里積記によれば田畑とも下の村位。脇地頭は康熙三四年(一六九五)七月二五日から同四一年頃まで伊氏(惣慶家)五世伊良顕石原親雲上忠祐で、忠祐地頭任職の際に当村は奥川改名。同年一〇月二〇日に父忠祐の致仕により伊氏(惣慶家)六世伊善達惣慶親雲上忠恒が奥川地頭職に任職したのを確認できるのみである(伊氏惣慶家家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報