朝日日本歴史人物事典 「安広伴一郎」の解説
安広伴一郎
生年:安政6.10.13(1859.11.7)
明治大正期の官僚。父は福岡藩士安広一郎。号は竜峰。少年時代,儒者村上仏山の学塾水哉園に学び先輩末松謙澄と学才を並び称された。明治8(1875)年上京し末松の援助を受け,香港に渡り英学を,さらに北京で中国語を学ぶ。帰国後,中山寛六郎の援助を得て英国ケンブリッジ大学に留学,法学士の学位を取得して帰国した。26年山県有朋司法大臣の秘書官となり,中山や都筑馨六らと共に代表的な山県系官僚と目されるに至る。内務,文部,逓信各省の局長を歴任し,第2次桂太郎内閣の法制局長官を務めた。昭和2(1927)年満鉄総裁を最後に官途を退いた。<参考文献>山本亀城(実彦)『政界の寧馨児』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報