安行庄(読み)あんぎようのしよう

日本歴史地名大系 「安行庄」の解説

安行庄
あんぎようのしよう

現篠山市内にあった中世の庄園。「篠山領地志」「篠山封疆志」は篠山盆地中央部北寄りの新荘しんじよう野間のまに比定している。建武四年(一三三七)八月二四日の室町幕府引付頭人奉書案(八坂神社文書)は、京都祇園社前執行助法眼顕詮が同社領波々伯部ほほかべ保を安行庄住人波々伯部又太郎信盛や宮田みやだ庄住人二郎左衛門尉為光以下が押妨狼藉したことを訴えたため、志賀野太郎行貞・上原孫神太秀基を使節として、下地を顕詮代に沙汰付けるように命じており、同一〇月二日の波々伯部保雑掌仙増下地請取状(祇園社記続録)によってその遵行が確認できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報