定八窯跡(読み)さだはちがまあと

日本歴史地名大系 「定八窯跡」の解説

定八窯跡
さだはちがまあと

[現在地名]阿山町丸柱

丸柱まるばしらの中央部にあり、貞八窯とも書く。現当主がこの窯跡の地に貞八窯を継承している。現住居一帯が長石地帯で、当時より長石釉をも産出した。宝暦年中(一七五一―六四)より藩の慫慂もあり(庁事類編)伊賀焼再興の試みがなされ、吉村新蔵・官蔵父子や弥助久兵衛などの陶工が出た。文化(一八〇四―一八)頃には五軒の「瀬戸屋」があった(「御国産丸柱焼瀬戸屋御用記録」磯矢佐蔵氏蔵)。定八は姓岡本、久兵衛の弟で弥助に習って定八窯を作った。作風は当時の伊賀焼と同様に実用雑器が中心で、長石釉を用いた京風の模作で、古伊賀の風格はない。しかし「庁事類編」文化一四年一〇月二七日の条に「丸柱村ニ伊賀焼家元二軒之外写焼仕候者は御差留被下度旨御越国中茶道より申出候由」とあるとおり、家元制度に近い技術保存が図られていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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