経済学においては生産と消費を繰り返しつつ同じ経済状態を再現し続ける経済を,定常状態の経済という。それは完全な静止の状態ではない。世代の交代と資本の更新を続けながら,人口や資本量,生産量,消費量などが変わらないままに推移する状態が定常状態である。A.スミス,D.リカード,J.S.ミルなどのイギリス古典派の経済学者たちは,社会がやがてそのような状態に到達するという見方をしていた。また,経済発展へのいわゆる離陸前の経済の状態は,定常状態に近いといえるであろう。たとえば18世紀のフランスや江戸時代中期の日本などである。しかしこのような概念が経済分析において有用であるかどうかは,この概念に対応する過去,現在,未来の現実があるかどうかによって決まるものではない。たとえばF.ケネーの経済表やK.マルクスの単純再生産表式(〈再生産表式〉の項参照)が示すように,定常状態の経済模型は,異なる時点の資本,生産,消費が互いに他をどのように規定しあうかを最も単純な形で表し,生産の一つの基礎である資本の再生産がどのように進行するかにかかわる基本問題を明らかにするのに役立つ。そればかりか,成長と発展を遂げる現実の経済にはあって定常状態の模型にはない要因は何であるかを知ることを通じて,経済に成長と発展をもたらす要因は何であるかをわれわれは知ることができる。このような意味で,定常状態の概念は,経済の理論分析を進めるための便宜となる虚構あるいは道具である。
定常状態と経済静学とはどのように結びつくのであろうか。同一時点のみの変数の相互関係のうちに経済をとらえる分析を静学分析といい,異時点にわたる変数の相互関係のうちに経済をとらえる分析を動学分析というR.A.K.フリッシュの立場をとるならば,定常状態の研究がすなわち経済静学であるとは必ずしもいえない。たとえば,定常状態は長期均衡状態であるという見方は,定常状態が動学に属する概念であるという理解に基づくものである。長期均衡の定義は動学の関係に基礎をおいているからである。しかしまた定常状態の諸変数の関係は時間の流れを無視して表現することもできる。ゆえに定常状態の虚構は,本来動学に属する問題を静学の枠組みの中で扱うときにどうしても必要となる単純化の手段であるということができる。
→経済動学
執筆者:神谷 傳造 なお,物理学でも動的な現象においてその状態を決定する諸量が時間的に不変な場合や,量子力学的系が一定のエネルギー値をもっている状態を定常状態と呼んでいる。
執筆者:編集部
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
定常状態とは文字どおり、時間とともに変化しない状態のことである。しかし、それはまったく運動が停止した状態を意味するのではなく、運動の形態が時間的に変化しない状態を意味する。たとえば水のような流体の流れを考えたとき、空間中に固定されたある点での速度が時間によらず一定であれば、この流れは定常状態にあるという。より正確には、空間中の1点(x,y,z)における、時刻tでの流体の速度ベクトルをv(x,y,z,t)としたとき、これが時刻によらなければ定常状態が実現している。水の流れの場合、水自身は運動しており、その位置は時間とともに変化していく。しかし、定常状態においては、流れの速度・流量はいつも同じである。同様なことが熱の伝導、電流などに対しても成り立つ。また、熱平衡状態ではミクロな構成要素は運動しているが巨視的には変化しない。このような場合も定常状態という。なお、巨視的な流れがある場合には、非平衡定常状態という言葉が使われることもある。そこでは流れを引き起こす力と、摩擦力などの散逸力がつり合って定常状態をつくっている。
また、ミクロな量子力学の世界において定常状態という言葉は、系の固有状態に対しても使われる。すなわち、体系のエネルギーが一定値をもち時間的に変化しない状態が定常状態である。たとえば定常状態にある水素原子を考えると、陽子の周りを運動する電子は一定のエネルギー固有状態にあり、光の放出などを行わない。一般に、原子や分子の定常状態は、それぞれの系のあるエネルギー固有状態に対応すると考えられる。
[宮下精二]
個々の企業や家計などで生産、消費、貯蓄、投資などが絶えず行われていても、経済全体としてみた場合には、これらの経済変数が時間を通じて不変に保たれている状態をいう。A・スミスやD・リカードなどの古典学派の経済学者は、定常状態を経済発展の長期的な帰着状態とみなした。定常状態では与件が変化せず、各経済主体は適応をし尽くして新たな適応の余地がなくなり、経済諸変数は同一規模で循環的に繰り返されるだけである。定常状態では人口増加、技術進歩、資本蓄積は生じない。現実の経済で定常状態が生じる可能性はきわめて少ないが、経済学で定常状態を問題とするのは、それを均衡概念の一つの方法論的な仮説として扱っているためである。
[畑中康一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
動的な現象の一部をみたとき,入り込む量と出て行く量が釣り合い,その部分に関しては時間の関数としてなんらの変化もみられない状態をいう.原子や分子の量子論では,その系のエネルギーが一定値を保っている状態をいう.[別用語参照]定常状態法
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…これは,出力が入力だけによって決まる例である(図1)。負荷が抵抗とインダクタンスとからなる図2の場合には,入力が変化する前の電流から,変化後の最終的な状態(これを定常状態という)に向かって連続的に指数関数的に近づく。さらに図3のように抵抗とキャパシタンスとからなる回路では,いったん電流が不連続に変わってから,次の定常値に接近する。…
…経済諸変数の異時的因果関係によって生起する,時間の経過にともなう経済変動の特性を解明することを目的とする研究。これに対し経済静学economic staticsは,ある時点または1単位期間における経済の均衡状態(短期均衡),あるいは時間を通じて不変な状態,いわゆる定常状態(長期均衡)の特性を明らかにしようとする。たとえば国民総生産(GNP)についていえば,固定資本は労働人口などとともに国民総生産に影響を及ぼす重要な要因であるが,固定資本設備の建設期間は長いので今年度の投資は直ちには生産力として稼働しえない。…
…このような場合を含めて,一般に電子の状態は一つの波動関数ψ(x,y,z,t)で表される(x,y,zは位置座標)。管の中で空気を振動させると定常波が生ずることがあるが,量子力学によれば,原子内の電子の波についても定常波があり,定常波が存在するときその状態を定常状態と呼ぶ。水素原子のような1電子系の場合,定常状態の波動関数ψ(x,y,z,t)はψ(x,y,z,0)・exp{-iEt/ħ}の形をもつ(ここでEはその状態の電子のエネルギーである)。…
…量子力学的な系が一つの定常状態から他の定常状態に移る確率。一例として原子による光の吸収を考えてみる。…
…すなわち,いずれも体系の内部に物理量の流れが存在するという意味で熱平衡状態からはずれた典型例を与えるものである。 平衡状態に類似概念でこれより広い意味を含む概念に定常状態があげられる。運動法則(1)についていえば,すべての物理量xiについてẋi=0の条件に従う状態が平衡であった。…
…それ以後,波動関数は点aからシュレーディンガーの波動方程式に従って広がっていくことになる。
[定常状態]
シュレーディンガー方程式の解のなかには,波動が空間のあらゆる点でいっせいに足並みそろえて振動するようなものがある。これは,2点の間にピーンと張った弦の振動の場合なら固有振動に相当するもので,量子力学の波動の場合にもその振動数は特定の一連の値(固有振動数)ν0,ν1,……に限られる。…
※「定常状態」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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