実範(読み)じっぱん

朝日日本歴史人物事典 「実範」の解説

実範

没年天養1.9.10(1144.10.8)
生年:生年不詳
平安後期の真言宗,律宗の僧。「じちはん」「じつはん」ともいう。奈良の中川寺(現廃寺)成身院の開祖唐招提寺復興者。通称中川少将,少将上人。出身は京都。父は参議藤原顕実。興福寺に入寺し法相を学び,醍醐厳覚や高野山教真より密教,横川の明賢より天台を修めた。早い時期から曼荼羅寺,光明山寺などの密教,山岳寺院との関係を持ち,興福寺の別所的性格を持っていた中川寺に隠遁後も忍辱山円成寺,浄瑠璃寺,岩船寺などの周辺の山岳寺院にかかわり,祈祷者・修験者的要素を強めていった。一方,戒律にも通じ,藤原忠実並びに関係者の出家に際して戒師を勤めている。『元亨釈書』実範伝では,実範は唐招提寺で牛を使って耕作していた禿丁の人より四分戒を受けた,というエピソードが述べられ,唐招提寺の荒廃ぶりと戒律復興に赴く実範の姿が象徴化されている。著書に『東大寺戒壇院受戒式』『病中修行記』などがある。<参考文献>佐藤哲英『念仏式の研究―中ノ川実範の生涯浄土教―』

(追塩千尋)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「実範」の解説

実範 じっぱん

?-1144 平安時代後期の僧。
真言宗。興福寺で法相(ほっそう)を,ついで醍醐(だいご)寺の厳覚(ごんかく)に密教を,比叡(ひえい)山の明賢(みょうけん)に天台をまなぶ。大和(奈良県)中川に成身院をひらく。戒律の復興につとめ,唐招提(とうしょうだい)寺の再興につくした。晩年は浄土教に帰依。天養元年9月10日死去。京都出身。俗姓は藤原。字(あざな)は本願。通称は中川少将,少将上人。著作に「東大寺戒壇院受戒式」「病中修行記」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「実範」の意味・わかりやすい解説

実範
じつはん

[生]?
[没]天養1(1144)
平安時代の真言宗の僧。京都の人。東密中川流の祖。戒律にも通じ,南都律を復興。晩年,浄土教へも深い関心を寄せ,日本浄土教高祖6人の一人に数えられる。

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