宮城 仁四郎(読み)ミヤギ ジンシロウ

20世紀日本人名事典 「宮城 仁四郎」の解説

宮城 仁四郎
ミヤギ ジンシロウ

昭和・平成期の実業家 琉天会会長;リウエン社長。



生年
明治35(1902)年1月10日

没年
平成9(1997)年12月20日

出生地
沖縄県大宜味村

学歴〔年〕
鹿児島高等農林学校(現・鹿児島大学)農芸化学科〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
琉球政府産業功労賞〔昭和37年〕,勲三等瑞宝章〔昭和47年〕,琉球新報賞〔昭和52年〕

経歴
沖縄製糖工場長を経て、ジャワ島で製糖、セメント製造、農園経営にあたる。戦後は沖縄民政府工務部副部長をつとめ、昭和25年に大東糖業設立、社長に就任。砂糖のほか、パイナップル、たばこ、畜産食品加工などに事業を拡大。34年琉球セメント社長、40年那覇商工会議所会頭、中琉協会会長、41年11社1団体で構成する琉天会を創設し会長。47年リウエン社長、52年波照間製糖社長、のち玉城園地会長・社長。50年日韓親善協会会長、57年沖縄経営者協会会長などを歴任パインを沖縄の基幹産業に発展させた功労者だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮城 仁四郎」の解説

宮城仁四郎 みやぎ-じんしろう

1902-1997 昭和後期-平成時代の実業家。
明治35年1月10日生まれ。沖縄製糖工場長をへて,戦時中はジャワ島で製糖,セメント製造,農園の経営にあたる。昭和23年大東糖業を設立。砂糖のほか,パイナップル,たばこ,畜産,食品加工などに事業を拡張し,11社1団体で構成する琉展会を創設。沖縄県経営者協会会長などをつとめた。平成9年12月20日死去。95歳。沖縄県出身。鹿児島高農(現鹿児島大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「宮城 仁四郎」の解説

宮城 仁四郎 (みやぎ じんしろう)

生年月日:1902年1月10日
昭和時代;平成時代の実業家。琉天会会長;リウエン社長
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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