宮道列子墓(読み)みやじれつしのはか

日本歴史地名大系 「宮道列子墓」の解説

宮道列子墓
みやじれつしのはか

[現在地名]山科区勧修寺西栗栖野町

栗栖野にあり、坂上田村麻呂墓のある馬背ませ坂の西に位置。円墳で周囲に空堀がある。考古学では宮道古墳とよばれ、中臣十三塚古墳群に属する。後小野墓とも称される(延喜式)。列子は内大臣藤原高藤の妻で醍醐天皇外祖母。高藤との間に宇多天皇の女御となる胤子をもうけたことについては「今昔物語集」に詳しい(→藤原高藤墓。延喜七年(九〇七)死去。「日本紀略」一〇月一七日条に「従三位宮道列子薨、帝之外祖母也、有薨奏」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android