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生活の場を指す語としては明治初期までは「家内」「家」が主に用いられたが、明治二〇年代(一八八七‐九六)に入ると、雑誌を中心に「家庭」の語が頻繁に登場するようになる。ちょうど従来の日本の封建的な家のあり方を改革して西洋風の新しい生活様式を求める時期で、「家庭」をホームの訳語とする意識も生まれる。
家族を中心とした諸個人の生活空間およびその雰囲気。一般に人が家庭や家族について語る際、その違いをとくに意識せずに同義に使うことが多い。しかし、家族については人間の集団性を示す表現をするのに対し、家庭については家族が生活する場であるとか、生活のよりどころであるとか拠点であるとかいうように、場所を意味する表現がかならず付帯する。
[川上雅子]
ところで、家庭は人が住まう場所としての家屋や住居のことだけをいうのではなく、その住居が、たいていはそこに住まう人間にとって意味をもち、生活に都合がよいように獲得・配置している設備や備品、モノによって構成されている点に特徴がある。また、そこに住まう人間は単に無関係な個々人の集まりではなく、家族はもとより、家族以外の人倫的関係で結ばれた人々も含まれる。家族以外の人倫的な関係の集団というと日本語の「家庭」の語意からは想像しがたいが、たとえば英語の「ホーム」を用いて老人ホームやナーシング・ホームの人々というと容易に想像できるであろう。すなわち、家庭は人とモノとの関係、人と人との関係がきわめて有機的なつながりをもって存在するところであるともいえる。
[川上雅子]
しかし、家庭を単に家族の「生活の場」といわず「生活空間」であると表現するのは、「場」には空間内の一定の区域、位置という固定的な意味合いが強く含まれるからである。一方、「空間」は時間概念とともに三次元的な世界を成立させる基本形式でもあり、人間のあり方との相関によって創出される広がりを感得できる。人がある空間を広くも狭くも、開放的にも閉鎖的にも感じられるのはこのためである。人間の生活の本質は、自らが設定した価値や目標に向かい、その実現を図ろうとする創造行為にある。総じて「生活空間」という表現には、家庭の機能として、人間の本質的な生活行為を実現可能性をもって方向づける意味が包含されている。
そのうえ、家庭では人とモノ、人と人との関係のほかに、人とその人自身との関係、すなわちアイデンティティ(自己存在の同一性)も重要な要素となる。1990年代になって、家庭における父親の存在や、家庭内別居などにみられる夫婦関係の問題が表出してきたが、これらはいずれも人的な関係のみならず、家屋、部屋、食卓の椅子(いす)などに代表されるモノとの関係の問題であると同時に、家庭における自己疎外の状況を象徴している事柄である。
[川上雅子]
なお、英語でアット・ホームat homeとは家にいることであるが、気楽にくつろいで、慣れ親しむという意味もある。これらの意味は単に自己と家やモノ、人との関係から生み出されるものではなく、自らの存在意義や安定的な位置をその内にみいだすことにより感得される気分、ムードそのものである。ときに未婚の単身者の場合、すでに自らの家庭に依拠しながら「(これから)家庭をもつ」とか「(いまは)家庭をもっていない」と家庭について語り、また結婚後、配偶者の死を契機に単身となった高齢者は、なお営みとしての家庭があることを感じる。また、ホームレスをハウスレスといわないのは、単に彼らが過去にもっていた家やモノ、人との親密で確固たる関係を失っているだけではなく、家庭の醸し出す雰囲気そのものをもたないからである。家庭には人、モノ、その人自身との関係から創出される雰囲気ともいうべきものが存在する。
[川上雅子]
家庭という語は、歴史的には明治期以降日本に一般化し、その位置づけや役割も時代とともに変化を遂げてきたが、現代は第二次世界大戦後に制定された憲法第24条の精神である個人の尊厳と両性の平等がその根幹を支えている。1970年代の高度成長期にはマイホーム主義などに代表される社会からの逃避やシェルター(避難所)としての家庭の姿が強調されたが、社会の変化に伴い家庭自身の脆弱(ぜいじゃく)さが露呈し、その機能を十分に果たすことができないまま家庭崩壊などとよばれる状況を今日にもたらした。また、90年代後半以降、急速に家庭に入り込んだコンピュータなどの情報通信機器は、情報の個人化を促したため、一方では家庭崩壊を助長するものとして存在しつつ、一方では家庭が新たな情報発信、創造の拠点となる可能性をもたらした。人々は育児や介護、養護など家庭に不可欠な機能を補う外部情報を得、諸々のストレスを解放し、新たな家族の関係性を生み出す契機となる道具をいま、掌中に納めつつある。その意味で、従来とは異なる安らぎが家庭において得られる可能性があるものの、仕事などの雑事も家庭に直入することになり、情報をつかさどることのできる能動的な能力やまなざしがなければ真の安らぎは得られなくなる。新たに個人の家庭観や家庭の文化、精神が問われている。
[川上雅子]
『オットー・フリードリヒ・ボルノウ著、大塚恵一他訳『人間と空間』(1978・せりか書房)』▽『マルティン・ハイデッガー著、細谷貞雄訳『存在と時間』上下(ちくま学芸文庫)』▽『大谷陽子・辻禎子・藤井千賀・松岡明子著『生活・家庭経営――変化と多価値化に向けて』(1995・建帛社)』▽『佐伯胖他編『岩波講座 現代の教育7 ゆらぐ家族と地域』(1998・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…家庭でおこなわれる教育。古代ローマ初期,子に対する家父の権利は生殺与奪の権をも含む強大なものであった。…
※「家庭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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