寛永寺遺跡(読み)かんえいじいせき

日本歴史地名大系 「寛永寺遺跡」の解説

寛永寺遺跡
かんえいじいせき

[現在地名]台東区上野公園

江戸時代の寛永寺の遺跡は上野忍岡うえのしのぶがおか遺跡群として発掘調査が行われている。東京国立博物館平成館外構工事地点からは寛永寺本坊の北西部と隣接する子院宝勝ほうしよう院もしくは等覚とうがく院の一部、常憲院殿(徳川綱吉)霊廟に通じる二天門前の広場の一部が発掘され、当時の土木工事の実態が明らかになった。寛永二年(一六二五)の寛永寺創建に際して大規模な地盤削平が行われ、盛土によって整地した上に本坊が造営された。延宝八年(一六八〇)の四代将軍徳川家綱の死去に伴う厳有院殿霊廟建立時にも本坊では厚さ約一―二メートルの大規模な盛土による整地と子院との境界に土塁が構築され、さらに宝永六年(一七〇九)の五代将軍綱吉の死去による常憲院殿霊廟建立のときには二天門前の広場を画する土塁が築かれたことが判明した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android