日本歴史地名大系 「寝屋村」の解説
寝屋村
ねやむら
寝屋村
ねやむら
大川分ねや村」とみえ、「縄
合壱石
本納なく□□計□」「家六間 □屋敷計」とある。村の両側に岩が描かれる。正保国絵図には「禰屋村」と記され、高二三石余。村上藩領に属した。享保一三年(一七二八)の同藩領分郷村高辻帳では立島組に属し、高一五石余。宝永元年(一七〇四)頃の村上十五万石御領内諸書留帳(伴田幸一郎氏蔵)によれば、当村には番所が置かれ、富樫伝右衛門が定番を勤めていた。富樫家は廻船業を営んでおり、慶応元年(一八六五)七月には松角材を積んで新潟湊をめざし出帆した同家の持船が悪天候のため
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報