対馬丸事件

共同通信ニュース用語解説 「対馬丸事件」の解説

対馬丸事件

太平洋戦争での1944年7月のサイパン陥落を受け、政府米軍侵攻が見込まれる沖縄からの集団疎開を決定。国民学校(現在の小学校)の学童や一般疎開者ら1788人を乗せたとされる疎開船「対馬丸」は翌8月の21日に長崎を目指し那覇出航。22日夜に鹿児島県・悪石島あくせきじま沖で米潜水艦の魚雷を受けて沈没した。軍は生存者らにかん口令を敷き、事件を秘匿した。判明した犠牲者1484人のうち、乳幼児を含む15歳までの子どもは約1040人に上ったとされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「対馬丸事件」の意味・わかりやすい解説

対馬丸事件
つしままるじけん

1944年(昭和19)8月22日沖縄県からの疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦に撃沈され、乗船していた学童779人を含む1476人が犠牲となった事件。

[編集部 2021年1月21日]

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