小久保 喜七
コクボ キシチ
- 肩書
- 衆院議員(立憲政友会),貴院議員(勅選)
- 別名
- 号=城南
- 生年月日
- 元治2年3月23日(1865年)
- 出生地
- 下総国猿島郡(茨城県)
- 経歴
- 中島撫山の私塾で漢学を学び、明治14年から「輿論新報」「曙新聞」で自由民権、藩閥政権打倒を唱えた。17年加波山事件、18年大阪事件で逮捕されたが無罪。大隈重信外相の条約改正案に反対、22年同外相襲撃事件で検挙投獄されたが無罪。25年茨城県議、県会副議長。29年引退したが、41年衆院議員で復帰、当選6回。立憲政友会に属し幹事、政調会長を務めた。大正9年逓信省勅任参事官、昭和3年貴族院議員。自由通信社長、小田急鉄道取締役も務めた。著書に「城南片鱗」「城南詩鈔」など。
- 没年月日
- 昭和14年12月14日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
小久保 喜七
コクボ キシチ
明治・大正期の自由民権家,政治家 衆院議員(立憲政友会);貴院議員(勅選)。
- 生年
- 元治2年3月23日(1865年)
- 没年
- 昭和14(1939)年12月14日
- 出生地
- 下総国猿島郡(茨城県)
- 別名
- 号=城南
- 経歴
- 中島撫山の私塾で漢学を学び、明治14年から「輿論新報」「曙新聞」で自由民権、藩閥政権打倒を唱えた。17年加波山事件、18年大阪事件で逮捕されたが無罪。大隈重信外相の条約改正案に反対、22年同外相襲撃事件で検挙投獄されたが無罪。25年茨城県議、県会副議長。29年引退したが、41年衆院議員で復帰、当選6回。立憲政友会に属し幹事、政調会長を務めた。大正9年逓信省勅任参事官、昭和3年貴族院議員。自由通信社長、小田急鉄道取締役も務めた。著書に「城南片鱗」「城南詩鈔」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小久保喜七 こくぼ-きしち
1865-1939 明治-昭和時代前期の自由民権運動家,政治家。
元治(げんじ)2年3月23日生まれ。自由党にはいる。明治17年の加波山事件や翌年の大阪事件,22年の大隈(おおくま)重信狙撃事件で逮捕されるが,無罪。のち茨城県会議員などをへて,41年衆議院議員(当選6回,政友会)。昭和3年貴族院議員。昭和14年12月14日死去。75歳。下総(しもうさ)猿島(さしま)郡(茨城県)出身。号は城南。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
小久保 喜七 (こくぼ きしち)
生年月日:1865年3月23日
明治時代;大正時代の自由民権家;政治家。衆議院議員
1939年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報