小塚 空谷(読み)コヅカ クウコク

20世紀日本人名事典 「小塚 空谷」の解説

小塚 空谷
コヅカ クウコク

明治期の詩人



生年
明治10(1877)年9月27日

没年
昭和34(1959)年4月16日

出生地
愛知県海部郡篠原村

本名
小塚 鎮雄

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)中退

経歴
明治32年詩「あはれ霊なき人の子よ」を内村鑑三の「東京独立雑誌」に発表。35年「労働世界」の編集に携わる。「乞食を励ますの辞」「新聞売子の声」などの詩を発表する一方、読み物「佐倉宗吾」「由比正雪」「大塩平八郎」などを連載し、この面での先駆者となった。36年「社会主義」の文芸欄の編集を担当し、「社会主義勃興の歌」「労働軍歌」などを発表。同年帰郷し、小学校の代用教員となったが「社会主義」に多くの詩を送った。43年頃から詩作から離れ、大正14年まで名古屋の小学校訓導として教育に携わった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小塚 空谷」の解説

小塚空谷 こづか-くうこく

1877-1959 明治時代の詩人。
明治10年9月27日生まれ。東京専門学校(現早大)在学中に児玉花外を知る。明治35年から雑誌「労働世界」(翌年「社会主義」と改題)の編集にたずさわり,「労働軍歌」「社会主義歓迎の歌」などを発表,社会講談「佐倉宗吾(そうご)」などを連載した。昭和34年4月16日死去。81歳。愛知県出身。本名は鎮雄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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