朝日日本歴史人物事典 「小宮山弥太郎」の解説
小宮山弥太郎
生年:文政11(1828)
幕末明治期の甲府の大工。幕末には徳川家三卿のひとつ田安家の作事頭であったという。明治6(1873)年藤村紫朗が山梨県の権令(のち県令)に就いて,後年「藤村式」と呼ばれることになる洋風の産業建築・官公庁建築を推進したが,小宮山は梁木学校,琢美学校,勧業製糸場(いずれも1874年),師範学校(1875),県庁舎(1877)など主要建築の棟梁を務めた。明治20年藤村県令の愛媛県転任に伴って松山に移り,同県庁舎などを手がけている。<参考文献>藤森照信「都市 建築」(日本近代思想大系19巻)
(越野武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報