小島子村(読み)こしまごむら

日本歴史地名大系 「小島子村」の解説

小島子村
こしまごむら

[現在地名]有明町小島子

下津浦しもつうら村の西、大島子おおしまご村の東に隣接する。室町時代末天草諸豪の侵攻によって戦場と化し、「八代日記」永禄七年(一五六四)六月二七日条に「上津浦ヨリ、小島子・下砥岐天草殿ヨリ御去進られ候間、今日知行之由」とみえ、上津浦氏の領地になった。天草・島原の乱では緒戦場となり、亡所と化した。乱後栖本組に属し、庄屋は吉田家。正保郷帳に村名がみえ、高二四九石二斗余とある。万治二年(一六五九)石高半減により一五〇石八斗余となった(天草風土考)。「国志草稿」に竈数一七・男女数一一一とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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