小谷ヘンリー(読み)コタニ ヘンリー

20世紀日本人名事典 「小谷ヘンリー」の解説

小谷 ヘンリー
コタニ ヘンリー

大正・昭和期の映画カメラマン,映画監督



生年
明治20(1887)年4月25日

没年
昭和47(1972)年4月8日

出生地
広島県広島市仁保町

本名
小谷 倉市

学歴〔年〕
ロイヤル・ハイスクール〔明治42年〕卒,オークランド・ヒルズ・カレッジ〔明治44年〕中退

主な受賞名〔年〕
勲五等瑞宝章〔昭和39年〕

経歴
幼時両親とともに渡米。大正2年トーマス・H・インス撮影所に入り俳優として活動、6年パラマウントの撮影所に移りカメラマンとなった。9年セシル・B・デミル監督の推薦で創立したばかりの松竹キネマに招聘され帰国、松竹蒲田撮影所カメラマン兼監督となり、第1作「島の女」、10年栗島すみ子デビュー作「虞美人草」を撮影・演出。次いで「電工と其妻」「トランク」などを撮影。12年松竹下加茂に移り、以後、日本映画草創期の撮影技術指導者として多くの技術者を養成した。のちパラマウント・ニュース極東代表となり、戦後は昭和20年駐日米陸軍通信隊映画班の教官となった。マービン・ルロイ監督も彼の教えを受けている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小谷ヘンリー」の解説

小谷ヘンリー こたに-ヘンリー

1887-1972 大正-昭和時代の映画監督,カメラマン。
明治20年4月25日生まれ。幼時に両親と渡米。高校卒業後,俳優,カメラマンとなる。大正9年帰国,松竹蒲田(かまた)撮影所にはいり,「島の女」「虞美人草(ぐびじんそう)」などを監督し,撮影も担当。のちパラマウント-ニュース社極東代表。戦後は駐日米陸軍の通信映画班教官をつとめた。昭和47年4月8日死去。84歳。広島県出身。本名は倉市。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

グレーゾーン解消制度

個々の企業が新事業を始める場合に、なんらかの規制に該当するかどうかを事前に確認できる制度。2014年(平成26)施行の産業競争力強化法に基づき導入された。企業ごとに事業所管省庁へ申請し、関係省庁と調整...

グレーゾーン解消制度の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android