小野川喜三郎(読み)オノガワキサブロウ

デジタル大辞泉 「小野川喜三郎」の意味・読み・例文・類語

おのがわ‐きさぶろう〔をのがはキサブラウ〕【小野川喜三郎】

[1758~1806]江戸後期力士。第5代横綱近江おうみの人。谷風雷電好敵手として活躍し、相撲黄金時代を築いた。→第4代横綱谷風 →第6代横綱阿武松おうのまつ

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精選版 日本国語大辞典 「小野川喜三郎」の意味・読み・例文・類語

おのがわ‐きさぶろうをのがはキサブラウ【小野川喜三郎】

  1. 江戸中期の力士。第五代横綱。はじめ大坂相撲にいたが、のち江戸相撲に参加。谷風、雷電らと黄金時代をつくる。将軍上覧相撲に際して、谷風とともに横綱を免許された。抱え大名は久留米有馬氏宝暦八~文化三年(一七五八‐一八〇六

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改訂新版 世界大百科事典 「小野川喜三郎」の意味・わかりやすい解説

小野川喜三郎 (おのがわきさぶろう)
生没年:1758-1806(宝暦8-文化3)

江戸時代の力士。5代横綱。近江国大津の生れ。本名,川村喜三郎。大坂相撲から1779年(安永8)江戸へ出て二段目筆頭(いまの十両)に付け出される。久留米有馬侯に召し抱えられ,当時8場所土つかずの谷風梶之助を破り,〈谷風は負けた負けたと小野川や かつをよりねの言いとり沙汰〉と蜀山人の狂歌で大評判となった。この時期,勧進相撲は黄金時代を迎え,徳川将軍上覧相撲にそなえ,89年(寛政1)谷風とともに前例のない横綱土俵入り免許を受けて観客の目を見張らせた。176cm,116kgの技能派力士で,幕内成績144勝13敗の好記録。現役時代から芝金杉の有馬侯下屋敷に身を寄せて弟子を養成,講談有馬の怪猫退治はこのころに創作された。97年引退。帰坂して大坂頭取就任,水茶屋経営という通説は誤りで,一代年寄として江戸で没し,芝の有馬侯菩提寺に葬られ,明治まで墓があった。
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朝日日本歴史人物事典 「小野川喜三郎」の解説

小野川喜三郎

没年:文化3.3.12(1806.4.30)
生年:宝暦8(1758)
江戸中期の力士。5代横綱。近江国(滋賀県)生まれ。宝暦11(1761)年生まれともいう。本名川村喜三郎。谷風梶之助,雷電為右衛門と共に寛政江戸勧進相撲全盛期を築く。63連勝を続ける谷風を倒して一躍名を挙げ,寛政1(1789)年谷風と同時に横綱を免許された。安永5(1776)年大坂で出場。同8年江戸に出て二段目で取り,天明2(1782)年2月場所5日目,4度目の挑戦で谷風に土を付けた。突いていなしたのち渡し込みで破ったもので,この大番狂わせを大田南畝は「谷風はまけたまけたと小野川が かつをよりねの高い取り沙汰」と狂歌に詠んでいる。久留米藩有馬家お抱え力士。機敏なスピード相撲で,優勝相当成績7回,勝率9割1分7厘は超強豪力士の証である。寛政9年引退。

(水野尚文)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小野川喜三郎」の意味・わかりやすい解説

小野川喜三郎
おのがわきさぶろう
(1758―1806)

江戸時代の相撲(すもう)力士で5代横綱。滋賀県大津出身。大坂相撲から江戸相撲に加わり、1782年(天明2)無敵を誇る谷風梶之助(かじのすけ)を破って人気を集め、89年(寛政1)谷風とともに前例のない横綱土俵入り免許を受け、寛政(かんせい)期(1789~1801)の黄金時代を築いた。身長176センチメートル、体重116キログラム、勝率91.7%。97年引退。抱え大名の久留米(くるめ)藩(有馬氏)下屋敷(東京都港区芝)に小野川部屋を開く。通説による帰坂は誤りで、江戸で没した。

池田雅雄]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野川喜三郎」の解説

小野川喜三郎 おのがわ-きさぶろう

1758-1806 江戸時代中期-後期の力士。
宝暦8年生まれ。5代横綱。大坂相撲から江戸相撲にうつり,天明2年,63連勝中の谷風をやぶった。寛政元年谷風とともに横綱となり,江戸相撲の黄金時代をつくった。幕内成績144勝13敗。身長178cm,体重135kg。文化3年3月12日死去。49歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本名は川村喜三郎。

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世界大百科事典(旧版)内の小野川喜三郎の言及

【寛政力士伝】より

…講談。4代横綱谷風とその弟子雷電および小野川の3名の力士を中心に,佐野山の孝心,稲川の義俠などを描く。なかでも谷風の七善根,雷電の封じ手,小野川雷電遺恨相撲などがおもしろい。小田原の仇討相撲は一席物として今日でもよく演じられる。これを語って有名な真竜斎貞水(しんりゆうさいていすい)(のちに早川貞水,1917没)は国技館木戸御免であったし,貞鏡時代の1896年に《寛政力士伝》を刊行した。【吉沢 英明】…

【横綱】より

…横綱に関する古文書は少なく,1773年(安永2)に行司式守五太夫の書いた伝書によると,その起源は,城や屋敷を建てるときの地鎮祭に大関2人を招き,おはらいの地踏みを行ったが,その儀式免許を京都五条家が〈横綱之伝〉を許すといったことから始まったとされる。これを職業相撲の興行の土俵に移したのが吉田司(よしだつかさ)家で,89年(寛政1)11月場所中に,初めて谷風梶之助小野川喜三郎の両関脇(実力大関)に,〈横綱〉というしめ縄を腰にまとって土俵入りする免許を与えた。当時,横綱は腰にまとったしめ縄をさすのみで,もちろん番付には関係がなく,また大関の称号でもなかった。…

※「小野川喜三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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