朝日日本歴史人物事典 「尾上多見蔵(2代)」の解説
尾上多見蔵(2代)
生年:寛政11(1799)
幕末明治期の歌舞伎役者。俳名松玉。屋号音羽屋。瀬川和市を名乗った子供芝居から名優といわれ,中村和市を経て22歳で江戸に下り尾上多見蔵を襲名。末恐ろしい若者と評された。3年後,帰坂して中芝居で早替わり,「鯉つかみ」などの業で驚かせ,「敵討高砂松」(「研辰」)など新作で当て花形となった。33歳で大芝居に出るや,たちまち大立者となり,三都はもちろん各地に出演。天保改革後は旅で大川八蔵を名乗った。石川五右衛門の宙乗り,葛籠抜けなど,派手な芸風は幕末期の観客の好みに合い,老巧ゆえに「三都随一の親方」,明治期には「総長」と称された。77歳で「石橋」の毛を振った人である。
(青木繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報