尾高勇(読み)オダカ ユウ

20世紀日本人名事典 「尾高勇」の解説

尾高 勇
オダカ ユウ

江戸時代末期・明治期の伝習工女



生年
安政6年(1859年)

没年
大正12(1923)年1月30日

出生地
武蔵国榛沢郡下手計村(埼玉県大里郡)

別名
法名=宝珠院桜室妙澄大姉

経歴
初代富岡製糸場工場長尾高惇忠の長女。明治5年に日本初の二階建煉瓦式工場として操業を開始した富岡製糸場は女子工員を募集するも、紡績技工のフランス人が飲むワインを生き血と勘違いした当時の人々の間で「女工募集は生き血を採集するため」との風説が広まり、なかなか人材が集まらなかった。同年、14歳の時、工場長の娘として率先して第一号の女工となり、西洋式製糸技術を学ぶとともに人々を啓蒙して誤解を解き、その結果、次第に多くの女工が集まるようになった。8年17歳で工場を辞め、10年には永田清三郎と結婚し4男2女を儲けた。37年には夫と死別するも苦労しながら子女の教育に尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「尾高勇」の解説

尾高勇

没年:大正12(1923)
生年:安政6(1859)
明治初期の伝習工女第1号。初代富岡製糸工場長尾高惇忠の長女。入間県(埼玉県)より明治5(1872)年,14歳で富岡製糸工場の西洋式製糸技術習得のために入所。17歳で1等工女となる。<参考文献>『埼玉の女たち』

(柴桂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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