山内首藤家文書(読み)やまのうちすどうけもんじよ

日本歴史地名大系 「山内首藤家文書」の解説

山内首藤家文書
やまのうちすどうけもんじよ

一冊 東大史料編纂所編 昭和一五年刊

解説 鎌倉山内庄に住み通資のとき備後国地庄に下り、以来大内・毛利両氏と関係があり、のち毛利家の幕下となった山内家文書集。承久三年関東下知状以下五六七点の文書と山内氏系図八種、山内家一族署判・毛利家分限帳山内氏分抄書などを収録

活字本 大日本古文書

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山内首藤家文書」の意味・わかりやすい解説

山内首藤家文書
やまのうちすどうけもんじょ

萩(はぎ)藩士山内首藤氏の伝えた文書。同氏は元来相模(さがみ)国の御家人(ごけにん)で、一族の一部が鎌倉後期に地頭職(じとうしき)をもつ備後(びんご)国地毗荘(じびのしょう)(広島県庄原(しょうばら)市と比婆(ひば)郡のそれぞれ一部)に移住。室町期に守護(しゅご)山名(やまな)氏と結び付き勢力を伸ばし、のち毛利(もうり)氏に属し防長(ぼうちょう)移封に従った。1351年(正平6・観応2)観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)に際し、足利直義(あしかがただよし)方にたち荘内に居住する一族の結集を図った「一族一揆契状(いちぞくいっきけいじょう)」の存在は著名。刊本『大日本古文書 家わけ15』に573通を収録。

山田 渉]

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