山口宗季(読み)やまぐち・そうき

朝日日本歴史人物事典 「山口宗季」の解説

山口宗季

没年:尚敬31.2.2(1743.2.25)
生年:尚貞4.11.3(1672.12.21)
首里王府時代の絵師。唐名は呉師虔。19歳で王府の絵師に任命,31歳のとき中国福州に絵画留学し,福州第1の絵師といわれた孫億のほか,順 梁亨や鄭大観に師事,同地に4年間滞在して精力的に画技を習得して帰国。帰国後の翌年(1708),許可を得て泉崎から王府近くの崎山に遷居,絵師主取となって薩摩藩主への進上品や国王の御後絵(肖像画)を描くなど,積極的な制作活動に従事しているが,花鳥図には孫億の影響が強く感じられる。また,中国伝来の朱肉(朱印色)調製技術を習得し,はじめて国内の朱肉製造に当たるなどの功績がある。<参考文献>『呉姓家譜』

(上江洲敏夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口宗季」の解説

山口宗季 やまぐち-そうき

1672-1743 琉球画家
尚貞(しょうてい)王4年11月3日生まれ。王府の絵師となり,清(しん)(中国)に留学して孫億らにまなぶ。歴代国王の御後絵(おごえ)(肖像画),献上用絵画などをかく。弟子に殷(いん)元良らがいる。また清より朱印色(朱肉)の製造法をつたえた。尚敬(しょうけい)王31年2月2日死去。72歳。字(あざな)は子敬。号は雲谷。後名は保房。唐(とう)名は呉師虔(ご-しけん)。作品に「四季翎毛花卉図」など。

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世界大百科事典(旧版)内の山口宗季の言及

【沖縄[県]】より

…王府時代の画家では欽可聖(きんかせい)(城間(ぐすくま)清豊,1614‐44)が天才自了(じりよう)とよばれ,中国の陳元輔や日本の狩野安信らに推称されたという。17~18世紀には呉師虔(ごしけん)(山口宗季)とその弟子殷元良(いんげんりよう)(座間味庸昌)を生んだ。このころはおもに中国の技法を学びながら琉球独特の絵画を生み出し,琉球絵画が最も栄えた時期である。…

【呉師虔】より

…琉球王朝時代の代表的花鳥画家。本名は山口宗季(そうき),字は子敬,号は雲谷,呉師虔は唐名。1691年に貝摺(かいずり)奉行所の絵師となる。…

※「山口宗季」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」